Marquee Club History

 Oxford Street/始まりの場所

 

 マーキー・クラブの歴史は、後にクラブのオーナーで、ユニークなイベント・クリエイターとなるハロルド・ペンドルトンによってスタートしました。

会計士という職業につきながらジャズ・ミュージックの愛好家でもあったペンドルトンは、全英ジャズ団体連合(National Federation of Jazz Organisations of Great Britain/略称:NFJOGB)の創始者:クリス・バーバーと知り合い、団体の秘書に就任します。

 ペンドルトンは英国ジャズ・ミュージシャンを中心としたイベントを開催し、1957年には年間200回のコンサートをプロモート。しかし定期的にコンサートが行えるホール会場が当時のロンドンにはありませんでした。

1958年、オックスフォード・ストリートにあった戦前からのダンス・ホール、マーキー・ボールルームでジャズ・ナイトを開催したペンドルトンは、マーキー・ボールルームの経営が厳しい事に着目、ペンドルトンは新しいジャズ・クラブの運営を任せられ、マーキー・クラブが生まれました。

マーキー・クラブで定期的にジャズ・ナイトを開催する傍ら、ペンドルトンはアメリカからやってきたブルース、リズム&ブルースにも着目。マディ・ウォーターズ等ブルース・ミュージシャンをアメリカから招聘してコンサートを開きました。またアレクシス・コーナーや英国若手ミュージシャンによるイベント、リズム&ブルース・ナイトを定期的に開催。1962年7月にはローリング・ストーンズが【Rollin'Stones】という名義で最初のコンサートを行っています。

 

1963年以降、ジャズ、ブルースの他、新世代サウンド:ロックンロールを演奏するグループも出演するようになりました。

しかし、その年の終わり、毎晩鳴り響く騒音と振動、夜通し大騒ぎする若者達に辟易したマーキー・クラブの建物のオーナーは、ペンドルトンに対して半年以内に建物を改装するか、もしくは移転するかを迫る通知を出しました。


Wardour Street/スウィンギング・ロンドン

 

 1964年、マーキー・クラブは、ウォルドア・ストリートに移転、音楽番組の収録場所としても使用され、ロンドン、そしてイギリスで最も有名なライヴ会場となりました。

ザ・フー、ヤードバーズ、プリティ・シングス、アニマルズ、ゾンビーズ、マンフレッド・マン、スモール・フェイセス、アクション、クリーム、ムーディー・ブルース、ピンク・フロイドetc。時代を作ったアーティスト達が毎晩出演し、スウィンギング・ロンドンを代表する非常に重要な場所になりました。

 また、1960年代後半から70年代にかけ、マーキー・クラブは新しいアーティスト達の登竜門としても知られるようになりました。

ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンス、レッド・ツェッペリン、イエス、キング・クリムゾン、ジェスロ・タル、ユーライア・ヒープ、ジェネシス、フェイセス、AC/DC、シン・リジィ、クィーンetc。マーキー・クラブの創業者:ペンドルトンが後に企画・運営した巨大フェス:レディング・ロック・フェスにおいて、マーキー・クラブへの感謝を込め、この出演者達の多くが出演しています。

また、ビッグ・ネームになってからも1971年のローリング・ストーンズ、1973年のデヴィッド・ボウイのようにクラブに出演するアーティストも現れました。


 1970年代後半、イギリスにパンク・ロック、ニュー・ウェーブの嵐が吹き荒れました。

セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、ダムド、ジェネレーションX、スージー&ザ・バンシーズ、ザ・ジャム、ウルトラヴォックス、ポリス、ザ・プリテンダーズetc。それまでとは全く新しい出演アーティスト達と新しいオーディエンス。この時期はマーキー・クラブにとっても大きな転換期となりました。

この流れは80年代初めのU2、デュラン・デュラン、トンプソン・ツィンズ等出演まで続きました。また同時期に出現したヘヴィー・メタル・ムーヴメントのアーティスト、アイアン・メイデン、モーターヘッド、デフ・レパード等も出演するようになりました。

 

1987年、マーキー・クラブは建物の老朽化、更に長年に渡り数千ワットの電力を使用したライヴ・サウンドと最高で1,000人以上を詰め込めたオーディエンスの振動によって、建物が傾いている事が市の安全委員会の調査により判明。マーキー・クラブは建物撤去を要請され、再び移転する事になりました。

1988年7月18日、ウォルドア・ストーリートにおけるマーキー・クラブ最後のパフォーマンスはジョー・サトリアーニでした。


Charing Cross/新しい伝説

 

1988年、マーキー・クラブはチャリングクロスに移転、1988年8月16日に再オープンし、オープニングはKISSが出演しました。80年代末期から新しいスタイルとなったマーキー・クラブは1995年の閉店まで、再びブリティッシュ・ロック・シーンにおいて重要な場所となりました。

マーキー・クラブにおける数多くの世界的バンド、アーティスト出演の歴史。それは老若男女国籍問わず多くのミュージック・ファンにアーカイブされています。また、マーキー・クラブの歴史あるロゴ、そして1960~80年代のマーキー・クラブ・ポスターのデザインは、オールド・ファンのみならず、クラブ最盛期の後に産まれた若いユーザー達にも支持されています。

 

2014年にマーキー・クラブはウォルドア・ストリートでのオープンから50周年を迎えました。2015年以後、そのブランド・ネームを世界に発信し続けています。


※ご存知でしたか?マーキー・クラブ・トリビア

マーキー・クラブに出演したバンドで最も売れたアルバムをリリースしたのはピンク・フロイド。
アルバムは「The Dark Side Of The Moon」
(50万枚を超える売り上げを記録)。

マーキー・クラブの最多入場者数記録はジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンスのデビューライヴ。通常は500~700人、多くても1,000人収容のマーキー・クラブでなんと1,400人が入場。酸欠状態でギター・チューニングも狂いまくった。

イギリスの大型フェス、レディング・フェスティバルはマーキー・クラブの創業者:ハロルド・ペンドルトンが企画・運営した世界で最も古いポピュラー・ミュージック・フェス。

1964年2月13日、ウォルドア・ストリートに再オープンしたマーキー・クラブ。記念すべきオープニングに出演したのはヤードバーズ。ソニー・ボーイ・ウィリアムソン、ロング・ジョン・ボルドリー&フーチー・クーチー・マンのサポートとして。

マーキー・クラブに出演したバンドの中で、初めてヒット・チャート1位を記録したのはローリング・ストーンズ。1964年7月に1位となった「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」

マーキー・クラブに出演したバンドで最多出演回数記録を持っているのはマンフレッド・マン。オックスフォード・ストリート時代の1962年から1976年まで通算102回出演。

マーキー・クラブに一度も出演せず世界的な成功を収めた数少ないバンドはザ・ビートルズ。しかしメンバーはオーディエンスとして頻繁に訪れており、ジミ・ヘンドリックスのデビューライヴを絶賛。